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スポーツ医科学(オリンピックの歴史と精神)

渡辺 郁雄 (朝日大学)
 ギリシャ・アテネでのオリンピックは多くの感動とドラマとともに閉会しました。古代オリンピックが始められたのはギリシャのぺロポソネス半島にあるオリンピアという場所でした。当初4年に一度の農事に関わる儀式が次第に競技中心に変わったものとされています。
 その後、オリンピアの領有権をめぐり二つの都市国家が争いましたが、その解決策を当時の王が神託を仰ぐとオリンピック競技会を興すようにいわれ、紀元前776年に休戦と同時に競技会を開いたとされています。すなわち古代オリンピック競技会は当初、ゼウス神に捧げる平和の証として始められたものなのです。
 古代オリンピックは紀元前393年まで500年以上にわたって行われた後、約1500年の休止期を経て1896年アテネにおいて近代オリンピックとして再開されました。再開に力を尽くしたのはフランス人クーベルタン伯爵であることはよく知られています。彼は一生を教育に捧げた人物ですが、鋭い時代感覚と教育に対する深い熱意と洞察力から、オリンピックを再開してスポーツによる教育の改革を世界に広めることが世界平和に貢献するに違いないと確信をもつにいたったのです。
 クーベルタンは「すべての文明国家が協力してオリンピックを繁栄させれば恐らく世界平和を確保する有力な一因となるであろう」また、「オリンピックの役割は単に筋肉の力を高揚させるだけではない。オリンピックは知的であり、芸術的でもあるのだ。したがって、これらの側面をますます研いていかなげればならない」などオリンピックを単に身体能力を競うだけではない深い意味をもった催しごととの位置づけをしておりました。また、「人生で重要なことは勝つことではなく、闘うことである。その本質は打ち克ったことにではなく、よく闘ったことにある」とも言っています。
 古代も近代もオリンピックは単なる競技会としてでなく、世界に平和をもたらすことへの期待や、人間の本質的な生きがいに迫る教育的意義への期待から始められたものであることを忘れてはなりません。
 しかし、それ以上にオリンピックが世界に平和と友好をもたらす可能性を感じることも事実です。オリンピックの歴史を考えるとき、スポーツが単なる身体能力の競い合いの場ではなく、精神面への影響はもちろん、文化的側面、人間社会における役割、ひいては世界平和への貢献までを視野に入れておくべきものであることに気付きます。